若者日記140 普通の基準をあげませんか?
こんにちは!わかさんです!
普通
みなさんが普段から何気なく使っている言葉だと思います。
私も使ってしまいます。
別に普通。
普通に楽しい。
それくらい普通。
このように使ってはいませんか?
でも、この普通という言葉っておかしくありません?
普通というのは、以上でも以下でもない真ん中のことを指す言葉のように聞こえます。
ですが、その真ん中というのはみんな同じなんでしょうか?
それこそ、前の記事であげたカルチャーショックのときで疑問があがります。
私たちのとって当たり前・普通と思っていることが世界では違うことがたくさんです。
日本人同士でも普通と思っていることがそうではないことはたくさんあります。
これはなぜ違ってくるのか。
私は「普通」の価値観に高低差があるからだと考えます。
どういったことかと言うと
イチロー選手いますよね?
あの方は日本人ながら海外でも活躍していた物凄い方です。日本人が誇れる人です。
なら、なぜそんなに凄い人になったのか。
才能?それもあると思います。
しかし、私は才能よりも「普通の努力」の違いだと思っています。
もし私がプロ野球選手になろうと本気で思っていたら、毎日体が疲れるくらいまで努力はすると思います。ランニングに素振り、体を鍛えるなど。
ですが、私はそれを頑張っていると自負してしまうでしょう。
周りのみんなより素振りをしている。
周りのみんなより走っている。
周りのみんなより練習している。
このように思ってしまうでしょう。
これは「普通の基準」を周りのみんなに合わせてしまっているから思ってしまうことです。
しかし、イチロー選手などは誰よりも多く練習しているにも関わらず、その練習内容が「普通」と思っています。
これが普通の高低差だと思う。
こうしてわかるように、私たちの普通というのは個人の普通の基準値によって決められています。
だからこそ、普通という言葉を使って通じない時もあるのだと思います。
私の周りでは普通だ。
私の家ではこれが普通なんだ。
一人一人違う普通を持っている時点で、普通という言葉は普通ではないのです。
でも、それは周りとの普通を使う時だけです。
先ほども言いましたが、普通とは自分の周りで見てきたもの、経験してきたことを元に普通を作ります。
ならば、そんな普通は捨てませんか?
低い普通に無理に合わせるのしんどくないですか?
そう思える人ならば、周りに合わす普通ではなく、イチロー選手のような自分で決めた普通を持ち、自分との勝負をしていきませんか?
そうすれば、いつかきっと周りとは違う景色を見ているんだと思います。
以上、普通の基準をあげませんか?
ありがとうございました!